名古屋地方裁判所 平成7年(ワ)1034号 判決 1999年3月15日
原告
花井綺野
外九名
右原告ら訴訟代理人弁護士
伊藤静男
同
福島啓氏
同
谷口和夫
被告
日本たばこ産業株式会社
右代表者代表取締役
土方武
右訴訟代理人弁護士
横山茂晴
同
岩渕正紀
同
入谷正章
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
(主位的請求)
1 被告は、たばこの製造、販売及び輸入の事業をしてはならない。
2 被告は、原告花井綺野及び同松下哲子に対し、それぞれ金一一〇万円及びこれに対する平成六年一一月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告は、原告平山良平、同宮崎邦彦、同木村登、同井上昌子、同江端一起、同板子文夫、同伊藤亮典及び同山崎太郎に対し、それぞれ金一一〇万円及びこれに対する平成七年四月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
5 2ないし4項につき仮執行宣言
(予備的請求)
1 被告は、ニコチンの含有量が0.4ミリグラム以上のたばこを製造、販売してはならない。
2 被告は、たばこの販売について、「たばこには中毒性があり、肺がん、心臓病、肺気腫等の原因となり、周囲の人にも害毒を与えます。」という警告文(以下「本件警告文」という。)を表示せよ。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 被告は、たばこの製造、販売及び輸入の事業等を営業目的とする株式会社である。
2 たばこの有害性
(一) 能動喫煙について
たばこの煙には、ニコチン、種々の発がん物質、発がん促進物質、一酸化炭素、種々の腺毛障害性物質等、二〇〇ないし三〇〇種類の有害物質が含まれており、特に有害なのは、ニコチン、各種発がん物質、一酸化炭素である。喫煙をすると、これらの有害物質が原因で循環器系に対する急性の影響がみられるほか、喫煙者では肺がんを初めとする種々のがん、虚血性心疾患、慢性気管支炎、肺気腫等の閉鎖性肺疾患、胃、十二指腸潰瘍等の消化器疾患その他の種々の疾患のリスクが増大する。また、喫煙は、全身、特に頭部及び四肢の動脈の粥状硬化の発生を促進し、血行障害を起こして重大な結果をもたらす可能性がある。妊婦が喫煙した場合には低体重児、早産、妊娠合併症の率が高くなる。また、喫煙のがんに対する寄与度は大きく、男性の肺がんでは約七割、女子の肺がんでは約二割と推計されている。
(二) 受動喫煙について
たばこの煙には、主流煙と副流煙の二種類があり、有害物質を多く含むのは副流煙である。副流煙に含まれている有害物質の量は、主流煙の二ないし三倍以上(受動喫煙の害)であり、特に、一番死亡率の高いと言われているがん(特に肺がん)に関係する発がん性の物質として有名なベンゾピレン、ジメチルニトロリアミン等の四〇ないし五〇種類の発がん性物質については、主流煙よりも副流煙の方に数倍から一〇〇倍以上含まれている。
そして、受動喫煙により肺がん、虚血性心疾患、呼吸器疾患等のリスクが高くなる。両親が喫煙者である場合に小児の呼吸器疾患又は呼吸器症状の率が高く、また、家庭や職場で生じる間接喫煙による症状としては、短時間では目や鼻が痛むといったものであるが、狭心症が起こったり、喘息が悪化することもある。そして、間接喫煙が長期間にわたった場合、肺がんの危険性が高くなる。一日二〇本以上のたばこを吸う夫をもつ妻は、肺がんで死ぬ危険性がそうでない妻の三倍以上という報告もある。
3 被告の違法行為
(一) たばこには前記2のような有害性があり、その他、日本国内及び海外で、たばこの有害性につき様々な警告が発せられ、被告は、たばこの害を十分に認識しているにもかかわらず、たばこの製造、販売及び輸入をしており、被告の右行為は原告らの生命、身体の健康、幸福追求権(人格権)を侵害するものであり、不法行為に該当する。
(二) 被告は、たばこ事業法に基づいて、たばこの製造、販売及び輸入事業をしているが、たばこ事業法は、たばこの害毒を前提としておらず、たばこの製造、販売及び輸入事業の違法性を阻却するものではなく、仮にたばこ事業法が右のような害毒を有するたばこの製造、販売及び輸入を許容しているとすれば、たばこ事業法は憲法一三条及び二五条に違反し、無効である。
4 原告らの損害
(一) 被告の右不法行為により、原告らは次のとおり損害を被っている。
(1) 原告花井綺野(以下「原告花井」という。)
息子が喫煙者となり、注意してもやめようとしないので、日夜息子のことを心配して心痛が絶えない。また、原告花井の寿命は間接喫煙により短縮しており、肺がんをはじめとする各種がんや疾患にかかりやすくなり、いつ肺がん等の病気に冒されるかもしれないという不安に脅かされている。
(2) 原告松下哲子(以下「原告松下」という。)
原告松下は、勤務先の同僚の喫煙に悩まされており、たばこによる健康被害を知るにつき、自身の健康に甚だ不安を抱かされている。
(3) 原告平山良平(以下「原告平山」という。)
原告平山は、勤務先で受動喫煙にさらされたり、勤務先の中学校で分煙を要求しても何ら受け入れられず、同級会では喫煙者の無配慮により、極めて不愉快な思いを強いられている。
(4) 原告宮崎邦彦(以下「原告宮崎」という。)
原告宮崎は、たばこの被害から自分を守るため勤務先の中学校で分煙を要求しただけで、変人とみられたりして、極めて不愉快な思いを強いられている。
(5) 原告木村登(以下「原告木村」という。)
電車の待合室や郵便局のロビー、かかりつけの病院において、マナーの悪い喫煙者のために、咳や涙が出て苦しい思いをしている。
(6) 原告井上昌子(以下「原告井上」という。)
大学生時代、男子学生を主とする喫煙者の煙害により、頭痛、吐き気等で悩まされ、精神的に大変苦痛だった。就職してからも、勤務先の上司や同僚の喫煙により、目、のどの痛み、頭痛、吐き気等で悩まされた。さらに、公共の場所である公共交通機関、繁華街、映画館、コンサートホール等で頻繁に煙害に遭い、頭痛、吐き気等で悩まされている。
(7) 原告江端一起(以下「原告江端」という。)
原告江端は、公の場所等でたばこの煙により汚染された空気を無理矢理吸わされ、たばこの臭いにさらされている。
(8) 原告山崎太郎(以下「原告山崎」という。)
原告山崎は、原告江端同様、公の場所等でたばこの煙により汚染された空気を無理矢理吸わされ、たばこの臭いにさらされている。
(9) 原告板子文夫(以下「原告板子」という。)
原告板子は、昭和五〇年ころ、風邪をこじらせ急性気管支炎に罹患して以来、たばこの煙が気になりだし、たばこの煙を吸うと咳や胸の痛み等の症状が見られるようになった。昭和五五年ころ、職場で喫煙する同僚が多かったことから受動喫煙の量が一段と増加し、急性気管支炎をこじらせて慢性気管支炎になる等当該症状が悪化した。また、職場では、同僚の吸うたばこの煙にさらされ、精神的、肉体的な苦痛を被ってきたことから、駅長に喫煙規制の要望や提案書等を提出したり、平成四年六月に勤務先の東日本旅客鉄道株式会社(以下「JR東日本」という。)を相手に職場の禁煙等を求める訴訟を提起した。職場外でも、喫煙する関係者からの受動喫煙が怖くて各種親睦会や地区の自治会の行事等に参加できなかった。原告板子は、このような職場の喫煙問題のため、JR東日本を一時は辞職する決意をし、このため子供に進学をあきらめさせたことがある。
(10) 原告伊藤亮典(以下「原告伊藤」という。)
勤務先の同僚の喫煙に悩まされており、職場以外でも生活のため利用しなければならない郵便局、銀行、医療機関、公共交通機関、飲食店、理髪店等で頻繁に煙害に遭い、肉体的、精神的苦痛を感じている。
(二) このように、原告らはいずれも、単なるたばこに対する不快感ないし被害に対する杞憂ではなく実害を被っており、被告の違法行為は原告らの人格権を侵害している。
憲法一三条に規定される人の生命、身体等についての利益は人格権として保護を受け、これが違法に侵害された場合、人格権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来の加害を予防するために必要な措置を求めることができ、被害者には損害賠償請求権が発生する。
また、被告によるたばこの製造、販売及び輸入事業と原告らの被害の因果関係の立証については、経験則に照らし、高度の蓋然性を証明することをもって足りると解すべきである。
5 損害額
(一) 原告らの右苦痛を慰謝するには、原告一人あたり金一〇〇万円の支払を受けるのが相当である。
(二) また、原告らが訴訟代理人を委任することによって必要となった弁護士費用は、原告一人あたり金一〇万円が相当である。
6 予備的請求1の原因(請求の原因1ないし4に加え)
たばこの害毒の根本は、たばこに含まれるニコチンの有毒性、常習性である。しかるに、被告はニコチンの中毒性を隠し、含有量を操作している。ニコチンの常習性はその含有量で左右され、0.4ないし1.2ミリグラムが有毒で常習性をもたらすものである。
7 予備的請求2の原因(請求の原因1ないし4に加え)
(一) 製造物責任法二条二項の「特性」には、製造物の表示(この中に、警告ラベルや取扱説明書等の警告表示が含まれる)も当然に含まれると解されるので、製造たばこの警告表示の欠陥も製造物責任法二条二項の欠陥に含まれる。
したがって、原告らは、被告に対し、製造物責任法の法理から、警告表示を適正なものとして本件警告文の表示を求めることができる。
(二) 被告は、たばこが欠陥商品であることを認識しつつ、これを製造、販売及び輸入しており、このような行為は強度の違法性を有する。
したがって、原告らは、被告に対し、民法七〇九条以下の不法行為の条項から導き出される法理によって適正な警告文として本件警告文の表示を求めることができる。
(三) 厚生省は、医薬品に副作用のおそれを記載するよう要請し、厚生省自身、たばこの副流煙の害を認めている。さらに、被告は、オーストラリアにおいては、たばこが有毒で常習性のあるドラッグであることを警告表示している。
これらから、被告には、たばこの販売にあたり本件警告文の表示をする義務が条理上認められる。
(四) 憲法一三条に規定されている人の生命、身体等についての利益は、人格権として保護を受け、これが違法に侵害される場合には、被害者は損害賠償を請求することができるのはもちろん、侵害行為の態様及び程度によっては、人格権に基づいて、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来の加害を予防するために必要な措置を求めることができる。
したがって、被告のたばこの製造、販売及び輸入事業による被害者である原告らは、被告に対し適正な警告文として本件警告文の表示を求めることができる。
(五) たばこは、前記2のとおりの害毒を有するので、被告によるたばこの製造、販売及び輸入事業は、憲法一三条、二五条及び二二条に反し許されない。この違憲性を免れる場合があるとすれば、予備的請求にかかるたばこの健康に対する害に関する本件警告文の表示をする場合のみである。たばこに表示する警告文は、たばこの持つ毒性や被害、即ち発がん性、循環器系への悪影響及び喫煙の周囲の人に及ぼす害毒を明確に告知する文言でなければならないにもかかわらず、現在表示されている「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」との警告文は、たばこの強力な発がん性や血管の弾力性を失わせたり、これを収縮させる等、人体の循環器系に対する悪影響を告知せず、吸いすぎなければ健康を損わないと言っているに等しく、誤った情報を提供するものである。また、右の警告文では、副流煙が喫煙者の周囲の人々に与える被害についての注意も与えていない。
したがって、現在表示されている前記警告文では、たばこの害悪及び危険性の告知を欠くものというべきであって、製造物責任法三条の欠陥に該当する。
(六) たばこに表示する警告文については、たばこ事業法施行規則三六条二項が、右の警告文を定めている。しかし、たばこは、前記2のとおりの害毒を有し、たばこの製造、販売及び輸入事業は、憲法一三条、二五条に反し許されないのであって、この違憲性を免れる場合があるとすれば、予備的請求にかかる警告表示文言を記載する場合のみである。したがって、定められた文言以外の記載を禁止する現行のたばこ事業法施行規則三六条二項は、違憲違法である。右規則による義務づけは、安全のための最低基準の義務づけと解すべきであり、さらに安全性を強化することは禁止されていないと解すべきである。
8 よって、原告らは、被告に対し、
(一) 主位的に、人格権に基づき、被告によるたばこの製造、販売及び輸入事業の差止を求めるとともに、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、各原告に金一一〇万円及び
(1) 原告花井及び同松下に対しては、訴状送達の日の翌日である平成六年一一月二九日から
(2) 原告平山、同宮崎、同木村、同井上、同江端、同板子、同伊藤及び同山崎に対しては、訴状送達の日の翌日である平成七年四月四日から
それぞれ支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、
(二) 予備的に、
(1) 人格権に基づき、被告による、ニコチンの含有量が0.4ミリグラム以上のたばこの製造及び販売の差止を、
(2) 製造物責任法及び不法行為の法理、条理、人格権に基づき、たばこの販売において、「たばこには中毒性があり、肺がん、心臓病、肺気腫等の原因となり、周囲の人にも害毒を与えます。」という警告文の表示を、
それぞれ求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実は認める。
2 同2の事実は不知。
(一) 副流煙は、喫煙者から吐き出される主流煙とともに環境中で大量の空気で希釈、拡散され、環境中たばこ煙(Environmental Tobacco Smoke'(以下「ETS」という。)となる。そして、ETSの希釈度合(濃度)は、部屋の広さ、換気条件、時間、室内構造物への付着等の影響を大きく受けるため、これらの条件によって異なるものの、一般に、相当程度希釈されると考えられるので、ETSへの曝露は極めて低濃度の曝露である。
したがって、原告ら主張のように、ETSと副流煙とを同一視し、副流煙が主流煙と比較すると含有成分の量が多い傾向にあることをもって、ETSの健康影響の重大性を強調するのは誤りである。
(二) 長期間のETS曝露による健康への影響については、疫学的調査研究が行われているが、現段階では、ETSへの曝露量が正確に測定できない等、健康に影響があることは明確になっていない。一般にETSの濃度は微々たるものであるから、受動喫煙と健康への影響との関係は十分な蓋然性をもって裏付けられてはいない。
(三) さらに、臨床医学的研究においては、眼、鼻及び喉に対する刺激並びに咳等の一過性の症状は認められるものの、呼吸機能測定値等の生理的指標についての明らかな影響は認められていない。
3 同3は争う。
4 同4の事実は不知。
原告らは、受動喫煙によって受忍限度を超えた特段の被害状況に置かれている具体的状況を明らかにすべきであるにもかかわらず、原告らの主張は、自らの被害とどのように関係するのか不明なたばこの有害性一般に関する主張のほかは、医学的な裏付けのない、たばこに対する単なる主観的な嫌悪感や不快感あるいは喫煙にまつわる過去の不愉快な思い出話等を述べているにすぎず、自己の被害の具体的な状況についての主張が何らなされていない。
加えて、被告のたばこの製造、販売及び輸入の事業が法律自体で容認されていることとを考え合わせれば、原告らが被告の右事業の差止めを請求しうる立場になく、その請求が認容される余地は全くないというべきである。
5 同5の事実は不知。
原告らの主張する受動喫煙の被害を理由として損害賠償請求するについても、原告らが受忍限度を超えた特段の被害状況におかれている具体的状況を明らかにする必要があるが、そのような主張はなされておらず、原告らの主張する不利益や不愉快な思いが、直ちに本件の損害賠償請求を基礎づける根拠とならないのは前記のとおりである。
6 同6は否認する。
原告らは、予備的にニコチンの含有量が0.4ミリグラム以上のたばこの製造及び販売差止請求をしているが、この請求についても、主位的請求が失当であるとした右理由がそのまま当てはまる。
7 同7は否認する。
(一) 製造物責任法、不法行為、条理のいずれをとっても、被告に本件警告文を表示する義務は認められない。たばこ事業法三九条一項は、会社又は特定販売業者に対する関係で注意文言をたばこに表示することを求めた規定であり、しかも、現行の文言は、専門家も参加するたばこ事業等審議会で十分に審議されて選定されたものである。
(二) 製造物責任法及び不法行為法は被害者に対する損害賠償によって事後的救済を図るものであり、被害者に適切な製造物の表示を請求する権利を付与するものではない。
したがって、製造物責任法二条二項の欠陥の考慮事項である製造物の特性に製造物の表示が含まれ、ある製造物に適切な製造物の表示がなされていないとしても、この点が欠陥の有無の判断に影響し得ることは別として、被害者は、適切な表示を請求する権利を有するものではない。
(三) 日本国内でたばこを販売しようとする場合には、被告が製造したか海外で製造されたかにかかわらず、たばこ事業法の規定に基づき同法施行規則に定められた文言を表示しなければならないように、海外でたばこを販売しようとする場合には、それぞれの国の法令、規制で定められた文言を、それぞれの国において販売されるたばこに表示しなければならない。
したがって、海外で販売されているたばこに原告ら指摘の文言が表示されていたとしても、そのことが日本において本件警告文の表示を求める法的根拠となり得るものではないし、ましてや、被告がオーストラリアでたばこを販売しようとする以上、同国の法令の定めに従って表示を行うのは当然であって、このことをもって、被告が喫煙の害を認めたということにはならない。
8 同8は争う。
原告らの受動喫煙による被害についての主張は、いずれもたばこや喫煙者に対する一般的、主観的な嫌悪感や不快感、あるいは過去における不愉快な思い出や職場等における自己の禁煙活動等を時系列的に羅列したものにすぎず、受動喫煙による被害の具体的な程度や態様等の不明なものであって、それによって、原告らが受忍限度を超えた特段の被害状況におかれていることを示す具体的状況が明らかにされているとは到底言えないものである。
仮に、原告らが職場等における受動喫煙によって何らかの不快、迷惑を受けているとしても、これらの状況に対しては、実際の職場等自身が分煙等の措置をとることにより十分対応が可能である。
したがって、原告らの本訴各請求は、それを基礎付けるに足る被害の具体性が欠如している点において不法行為の要件を欠き、請求の根拠を欠いていることは明らかであるから、棄却すべきである。
理由
一 請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 受動喫煙の身体に対する影響等
証拠(略)によれば、以下のとおり認められる。
1 たばこ煙は、喫煙時にたばこ自体を通過して口腔内に達する主流煙と、これの吐き出された部分である呼出煙及び点火部から立ち上る副流煙とに分けられる。
2 たばこ煙には種々の有害物質が含まれているが、そのうち生理的に影響を及ぼす主な物質は、ニコチン及び一酸化炭素である。ニコチンの薬理作用により中枢神経系の興奮が生じ、心臓、血管系への急性影響がみられる。一酸化炭素は、赤血球の酸素運搬を阻害する。
3 多くの疫学的研究から、喫煙者では、肺がんのほか、口腔がん、食道がん、胃がん、膵臓がん、肝臓がん、腎臓がん、膀胱がん、子宮がん等のリスクが増大していることが報告されている。たばこ煙中の発がん物質による遺伝子の突然変異等の発がん機序についての研究も明らかにされつつある。
疫学的研究から、喫煙は虚血性心疾患の主要な危険因子の一つであることが判明している。喫煙者では、肺がんのほか、慢性気管支炎等の慢性閉塞性肺疾患のリスクの高くなっていることが観察されている。そのほかにも、喫煙と関連があると疫学的研究により指摘されている疾患、症状がある。
4(一) 自らの意志とは無関係に、たばこ煙に曝露され、それを吸引させられることを広く受動喫煙(間接喫煙、不随意喫煙)という。受動喫煙においては、呼出煙及び副流煙の双方を吸い込む可能性があるが、後者は、前者に比べ刺激性が強く、有害成分の含有量も多い。ところで、環境中たばこ煙(ETS)とは、喫煙者が吸入した主流煙の呼出煙とたばこの先端から立ち上る副流煙が環境大気中で混合、拡散、希釈され、かつ、その一部が酸化反応等により化学的変化をうけた化学物質群のことであり、前述の副流煙とは異なるものであるが、いわゆる受動喫煙とは、このようなETSに曝露されることをいう。
(二) ETSの希釈度合(濃度)は、部屋の広さ、換気条件、時間、室内構造物への付着等の影響を大きく受けるため、これらの条件によって異なるものの、一般に、相当程度希釈されると考えられるので、人がETSの曝露を受ける際の濃度は極めて低濃度である。
(三) 生活環境中には、微量ではあるがおびただしい種類の化学物質が存在し、その中には、多くの発がん物質も含まれている。大気中の発がん物質の代表的なものとしては、ベンゾ(a)ピレン等の多環芳香族炭化水素やジニトロピレン等のニトロアレーン等が挙げられるが、こうした大気中の発がん物質の発生源としては、石油や石炭等の化石燃料の消費に伴う排煙、排ガス等が主なものと考えられている。また、空気中の化学反応によっても生じることもあり、それらの発生源は様々である。室内の空気は、戸外大気の室内侵入のほか、種々の室内発生源からの発散物によっても汚染される。汚染の原因としては、暖房、調理、湯沸かし、喫煙等の燃焼に基づく発散物のほか、建材、カーペット、ペンキ等の室内構成材料からの発散物がある。さらには、シャワー、スプレー、クリーニングのほか、ダニ等の微生物や人間そのものからの発散物によっても汚染される。これらの代表的な汚染物質としては、暖房では多環芳香族炭化水素や窒素酸化物、調理では多環芳香族炭化水素やヘテロサイクリックアミン、喫煙では多環芳香族炭化水素やニトロソアミンがあげられる。建材の構成材料からはホルムアルデヒドや有機溶剤、人間やペットからの発散物としては二酸化炭素、アンモニア等がある。また、発がん物質は、大気中だけではなく、飲料水や食物にもあり、例えば、飲料水からはトリハロメタン、焼き魚からはヘテロサイクリックアミン、加工魚肉中からはニトロソアミンという発がん物質が見いだされている。
5 受動喫煙の急性影響には、粘膜の煙への曝露によるものと、鼻腔を通して肺に吸引されそこから吸収された煙によるものがあり、眼症状(かゆみ、痛み、涙、瞬目)、鼻症状(くしゃみ、鼻閉、かゆみ、鼻汁)、頭痛、咳、喘鳴等が自覚されるほか、生理学的にも、呼吸抑制等の現象が観察される。また、受動喫煙は、たばこ特有の香り等とも協同して不快感、迷惑感の原因となる。
6 受動喫煙の慢性影響については、特に肺がんに関し近時多くの研究が発表されている。平山雄の研究によれば、我が国の喫煙男性の妻の肺がん死亡率は、非喫煙男性の妻のそれに比して明らかに高く、かつ、夫の喫煙量とともに増大するという。その後、この問題に対する報告が続き、その約半数のものは、受動喫煙の肺がんに対するリスクを明らかに認めている。そのため、各国においてこの問題に対する公衆衛生上の注意が喚起されるようになっている。
しかし、このような研究には、後記のような方法論上の問題もあり、今後更に優れた方法による研究を行う必要があると指摘されている。肺がん以外のがん、呼吸機能の障害、虚血性心疾患についても、複数の研究において受動喫煙のリスクが報告されているが、リスクがみられなかったとする報告もあり、一致した結論は得られていない。このように見解の分かれている理由については、受動喫煙の曝露の時間及び量並びに個人の素因、素質及び健康状態の良否等の種々の条件が各研究において異なるという方法論上の問題があること、発がん要因は、たばこの煙に限られず、前記のように他の要因も関与していること等が考えられるとされている。
なお、世界保健機関(WHO)の付属研究機関である国際がん研究機関が実施し、平成一〇年に発表された最新の大規模疫学研究によっても、ETS曝露と肺がんとの間には統計的に有意な関係がないとの研究報告がなされている。
7 平成元年たばこ事業等審議会答申においても、まず、疫学的考察として、いわゆる受動喫煙(「環境中たばこ煙」への曝露)については、その影響を示唆する研究結果が出されてきたことなどから、公衆衛生上の注意が喚起されているが、喫煙者が直接吸入する主流煙に比して非喫煙者が受動的に吸入するたばこ煙の濃度は希薄であり、したがって、仮に受動喫煙と肺がんとの間に関連があったとしても、その関連は極めて弱いものと考えられ、現状では十分な蓋然性をもって裏づけるには至っていないとされ、また、病理学的、臨床医学的考察では、臨床医学的研究において、たばこ煙による眼、鼻及び喉に対する刺激並びに咳等の症状が認められているが、呼吸機能測定値等の生理的指標についての明らかな影響は認められていないとされている。
8 このように、現時点では、受動喫煙が原因で肺がん、呼吸器疾患等が発症するということは現段階においては必ずしも明確にされておらず、受動喫煙の健康への影響については、今後の研究課題とされている。
三 喫煙に対する社会の意識
我が国においては、喫煙は、多年にわたって個人の嗜好として、国民各層の間に広範に普及しており、愛煙家の数も多く、国民一般の意識においても喫煙を個人の嗜好として是認しており、防災上の見地からの規制を別とすれば、個人が自由に行動することのできる場面においては、喫煙もまた原則として自由に行うことができるものとして、喫煙を寛容に受け入れてきた。
しかし、非喫煙者のうちには、たばこの煙のにおいを強く嫌うものがあり、ことに室内その他の密閉された空間において喫煙により汚染された空気を吸わされることには多くの非喫煙者が不快を感じるところである。そして、近年においては、各方面において、喫煙の害が強調されるようになったこと(労働省は、昭和六二年職場における禁煙に関する懇談会を設け、分煙の推進を提言しており、また、世界保健機構ヨーロッパ事務局主催で、一九八九年(平成元年)一一月に開催された第一回喫煙対策ヨーロッパ会議は、「たばこの煙のない新鮮な空気を吸うことは、健康的で汚染のない環境を享受する基本的な権利の一つである」、「すべての労働者は、喫煙に汚染されていない職場で、呼吸をする権利がある」等の条項を含む「たばこ対策憲章」と題する勧告を採択した。世界保健機構西太平洋事務局は、一九九〇年(平成二年)から四年間にわたる行動計画として、「国および地方レベルでの喫煙に関する適切な規制計画を示すこと」等の点を考慮することを提言している。)及び喫煙者は非喫煙者の迷惑について配慮し、自制すべきであるとの声が高まってきたこと等の影響により、公共の施設、交通機関及び一般の職場等において、一定の場所における喫煙を禁止する等の喫煙規制の措置が講じられる例がかなり見受けられるようになった。
四 原告らの損害
1 原告花井
証拠(略)によれば、原告花井が、夫の友人の喫煙により不愉快な思いをし、また、息子も喫煙者であることから、息子の将来の健康と原告花井自身の健康について不安を感じていることが認められる。
2 原告松下
証拠(略)によれば、原告松下は、かつて県立高校や福祉事務所に勤務していた時に、職員室や事務室内で同僚の喫煙による受動喫煙によって教材研究に支障を来たしたこと、自席では昼食もとれず仕事もできなかったこと、服にたばこの煙の匂いがしみついて不快であったことが認められる。
3 原告平山
証拠(略)によれば、原告平山は、かつて同級会に出席した際、喫煙をする同級生のたばこの煙で不愉快な思いをしたことが認められる。
4 原告宮崎
証拠(略)によれば、原告宮崎は、勤務先中学校において他の教員が喫煙をすることにより不快感を被ったことから、職場における禁煙を求めた措置要求を名古屋市教育委員会に提出したこと(右措置は認められず、措置判定取消訴訟を提起したが、原告宮崎の異動により訴えの利益がなくなったとして却下されている)、職場における禁煙や生徒に対して禁煙を勧める行動をとり続けていることが認められる。
5 原告木村
証拠(略)によれば、原告木村は、駅のホームや郵便局あるいは年に数回行く大学病院を挙げ、そこでの他人の喫煙によって咳や涙が出たり、不愉快な思いをしたことが認められる。
6 原告井上
証拠(略)によれば、原告井上は、高校時代や大学時代は、たばこの煙によって激しい頭痛や嘔吐におそわれたことや、社会へ出てからもたばこの煙によって不愉快な思いをしたことが認められる。
7 原告江端
証拠(略)によれば、原告江端が入院した時の患者が喫煙することにより、頭や目や喉が痛くなったことが認められる。
8 原告山崎
証拠(略)によれば、原告山崎は、たばこに関し、その害について周知徹底を求め、たばこの箱に記載されている警告文の内容が不十分であること、交通機関の禁煙を求める等を内容とする投書がいくつかの新聞に掲載されていることが認められるが、受動喫煙による損害を被ったとする証拠はない。
9 原告板子
証拠(略)によれば、原告板子は、野木駅(旧国鉄(現「JR東日本」)宇都宮線)に勤務していた昭和五〇年ころ、風邪をこじらせて急性気管支炎に罹患し、小山駅(同宇都宮線)勤務となった昭和五五年ころ、急性気管支炎をこじらせて慢性気管支炎となったこと、急性気管支炎に罹患した昭和五〇年以後、たばこの煙が気になりだし、たばこの煙を吸うと咳や胸の痛み等の症状が見られるようになり、職場内では、同僚の吸うたばこの煙にさらされ、精神的、肉体的な苦痛を被り、また、職場外でも、喫煙する関係者からの受動喫煙が怖くて各種親睦会や地域の行事等に参加できなかったことが認められる。
この点、原告板子は、慢性気管支炎が受動喫煙に起因するものであると主張するが、これを裏付けるに足る証拠はない。
なお、原告板子は、禁煙活動に取り組み、駅長に喫煙規制の要望や提案書等を提出し、平成二年二月から平成四年八月までJR東日本本社前でのビラまきを行い、平成四年六月には、JR東日本を相手に執務室と休息室を禁煙とすること等を請求する訴訟を提起する等したため、JR東日本本社前でのビラまき以降は、原告板子の前では気を使って喫煙する同僚もいなくなり、右訴訟において、平成六年四月一九日に和解が成立した以後は、職場における喫煙規制も徹底するようになった。
10 原告伊藤
証拠(略)によれば、原告伊藤は、職場で喫煙の自粛を申し出たことにより人間関係が悪化したこと、郵便局や病院等の公共施設において他人が喫煙することから、当該施設を利用していないことが認められる。
五 人格権に基づく差止等
一般に、人の生命、身体及び健康についての利益は、人格権としての保護を受け、これらを違法に侵害された場合には、損害賠償を求めることができるほか、人格権に基づいて、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は、将来の加害行為を予防するため侵害行為の差止をし、又は、侵害行為を予防するため必要な措置を講じることを求めることができるものと解するのが相当である。
しかしながら、人の生命、身体及び健康に関する利益に対する侵害にも、極めて軽微なものであって侵害行為が終了した後速やかにその影響が解消するものから、重大な侵害であって被害者が長くその影響から脱することのできないものまで様々な段階があり得るところであり、また、侵害の態様も直接的なものから、第三者の行為が介在する間接的なものまで一様ではない。
そして、人の身体、健康等に影響を及ぼすものであっても、その態様、程度いかんによっては、社会生活を円滑に営むために相互に許容すべきものとして社会的に容認されるものもあり得るのであって、およそ、侵害の態様、程度、加害行為の性質・効用又はこれに対する差止による影響等を考慮しないで当然に損害賠償又は差止を肯認するのは相当とはいい難く、侵害行為が受忍限度を超えるものであって初めて損害賠償又は差止が肯認されると解すべきである。
六 主位的請求(たばこの製造、販売及び輸入事業の差止請求)について
前記二のとおり、たばこ煙には種々の有害物質が含まれており、受動喫煙は、急性影響として、眼症状(かゆみ、痛み、涙、瞬目)、鼻症状(くしゃみ、鼻閉、かゆみ、鼻汁)、頭痛、咳、喘鳴等をもたらし、また、受動喫煙の慢性影響として、特に肺がんに関し近時多くの研究が発表され、約半数のものは、受動喫煙の肺がんに対するリスクを明らかに認め、肺がん以外のがん、呼吸機能の障害、虚血性心疾患についても、複数の研究において受動喫煙のリスクが報告されている。
非喫煙者が右のような健康被害又はそのおそれのある受働喫煙を避けたいとするのは当然であって、社会生活を円滑を営む上において、非喫煙者が喫煙者の喫煙行為を一方的に受忍しなければならない理由はない。
ところで、たばこの製造、販売及び輸入という被告の行為は、それがなければおよそ喫煙という行為があり得ないし、喫煙者の喫煙がなければ、非喫煙者が間接喫煙をすることもないという意味では間接喫煙にとって根本原因ではある。しかし、非喫煙者に対するたばこ煙の曝露は喫煙者の喫煙なくしては生じないという点からすると、被告の行為は間接的なものであって、非喫煙者の間接喫煙は、喫煙者の喫煙という行為によってもたらされるものである。
したがって、まずは、喫煙者が非喫煙者に配慮し、喫煙の場所、方法について十分な自制をすべきであり、喫煙者がこれを実行するならば、非喫煙者がたばこ煙に曝露される機会もなくなるはずである。もちろん、喫煙者のマナーにのみ期待して、非喫煙者を間接喫煙から完全に守ることはできないが、近年、たばこ煙の害が強調され、公共の施設、交通機関、一般の職場においても喫煙規制・分煙の措置がとられるようになり、今後も充実強化されることが予想されることから、これらの社会的規制によっても、非喫煙者を間接喫煙から守ることは十分可能である。
一方、原告らが被った受動喫煙による被害は、前記四のとおりであり、比較的軽微な急性影響や、たばこや喫煙者に対する嫌悪感や不快感であって、原告らが、受動喫煙により、健康上容易に回復することのできない重大な被害を現に被っているとは認められないし、将来重大な健康被害を受けるおそれがあるか否かは、受動喫煙の曝露の時間及び量並びに個人の素因、素質及び健康状態の良否等の種々の条件に左右されるものであるところ、これらの事実に関する原告らの主張立証がないので、原告らについて将来重大な健康被害が発生するか否かについて判断することはできない。
以上、間接喫煙によって原告らが現に受けている被害の程度、将来受ける健康被害の可能性、喫煙者のマナー、喫煙に対する社会的規制によっても間接喫煙の機会は少なくすることができること等を考えると、たばこの製造、販売及び輸入事業を差し止めなければ、間接喫煙を防止できないとも、また、重大な生命、身体、健康の被害を防止できないとも認められない。
したがって、原告らの人格権侵害を理由とするたばこの製造、販売及び輸入事業の差止請求には理由がない。
七 不法行為に基づく損害賠償請求について
前記四認定のとおり、原告らが被った受動喫煙による被害は、比較的軽微な急性影響や、また、たばこや喫煙者に対する嫌悪感や不快感であって、かかる受動喫煙による被害を直接にもたらした喫煙者に対する関係を超え、たばこの製造、販売及び輸入等の事業者である被告に対する関係で損害賠償を認めなければならない程度のものとは考えられないから、未だ、受忍限度の範囲内といえ、原告らの不法行為に基づく損害賠償請求は理由がない。
八 予備的請求1(ニコチン0.4ミリグラム以上を含有するたばこの製造及び販売事業の差止請求)について
原告らに、たばこの製造及び販売事業の差止請求が認められないのは前記六のとおりであり、この理はニコチンの含有量が0.4ミリグラム以上含有していた場合でも同様であるから、他にニコチンの含有量が0.4ミリグラム以上含有していた場合に右差止を認めるべき事実は認められない。
九 予備的請求2(本件警告文の表示請求)について
1(一) たばこ事業法三九条一項は「(日本たばこ産業株式)会社又は特定販売業者は、たばこで大蔵省令で定めるものを販売の用に供するために製造し、又は輸入した場合には、当該たばこを販売する時までに当該たばこに、消費者に対し、たばこの消費と健康との関係に関して注意を促すための大蔵省令で定める文言を、大蔵省令で定めるところにより、表示しなければならない。」と規定し、この規定を受けて、たばこ事業法施行規則三六条は、たばこ事業法三九条一項で定める文言は、紙巻きたばこ、葉巻たばこ、パイプたばこ、刻みたばこについては「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」との文言を、紙巻きたばこについては一最小包装ごとに印刷して、葉巻たばこ、パイプたばこ、刻みたばこについては一包装ごとに印刷し又は証紙を付けて、表示すべきことを規定しており、弁論の全趣旨によれば、現在国内で販売されている国産たばこには、右規則三六条の規定に従った文言が右規定に定められた方法で表示されていることが認められる。
(二) しかしながら、証拠(略)によれば、平成一〇年二月二四日から合計八回にわたり開催された、厚生省保健医療局における「21世紀のたばこ対策検討会」において、右規則内容について、健康を所管する厚生省が関与できないことを疑問視する意見があり、現行文言の表現は抽象的で曖昧であり、肺がん等具体的な疾患になる可能性、死亡する危険性の上昇、依存症があり、一旦喫煙癖がつくと禁煙するのが困難になること等を含んだ文言にすべきとの意見があり、さらに、同検討会において、大蔵省の見解として、たばこ事業法施行規則の定める文言とは別の文言を追加することを禁止しているわけではないと紹介されたことが認められる。
2 海外のたばこ警告文について
(一) 証拠(略)によれば、被告がオーストラリアで販売しているマイルドセブンの包装には、たばこに常習性があること、たばこに含まれるドラッグであるニコチンは、たばこを吸いたいと喫煙者に感じさせ、たばこを吸えば吸うほど体がニコチンを欲するようになってニコチン依存症になること、一旦ニコチン依存症になると、やめることが困難になること、一本のたばこから出る煙には、平均して一二ミリグラム以下のタールと1.2ミリグラム以下のニコチン、一五ミリグラム以下の一酸化炭素が含まれており、一二ミリグラム以下のタールは発がん性物質を含む多くの物質を含む凝固された煙であり、1.2ミリグラム以下のニコチンは有毒で常習性のあるドラッグであり、一五ミリグラム以下の一酸化炭素は酸素を運ぶ血液の機能を低下させる毒ガスである旨が記載されていることが認められる。
(二) また、証拠(略)によれば、アメリカ合衆国においても、たばこが肺がん、心臓病、肺気腫の原因となる旨を表示し、さらにスウェーデンでは「あなたの喫煙は他人に害を与えます。まわりの人に吹きかけないように。子供と一緒のときは吸わないように。」との警告文を表示していることがそれぞれ認められる。
3 前記1(二)及び2の各事実に加え、受動喫煙の肺がん等の疾患に対するリスクの存在を肯定する研究が少なからず公表されていること、各国あるいは国際機関の勧告において受動喫煙の危険性について公衆衛生上の注意が喚起されていることに加え、周知のとおり、我が国においても、近年医療機関や列車を含む公共の場所や職場での喫煙に対する規制が進んでおり、職場においていわゆる分煙化が定着しつつある状況にあることを併せ考えると、被告においては、任意の措置として、本件警告文のような表示を加えることが好ましいといえる。
4 ところで、原告らは、本件警告文の表示請求の根拠として製造物責任法の規定や民法七〇九条、憲法一三条の各法理及び条理を主張する。しかしながら、これらの条文を根拠にするとしても、右請求が私権に基づくものというためには、原告ら自身の権利侵害に基づくものと構成せざるを得ない。仮に、原告らの請求を人格権の侵害に基づく妨害予防請求権と構成するとしても、前記四認定のとおり、原告らが被った受動喫煙による被害は、比較的軽微な急性影響や、たばこや喫煙者に対する嫌悪感や不快感にすぎず、受忍限度の範囲内のものであって、妨害予防請求権を行使することができる程度の被害を受けているとも、または、そのような被害を受ける恐れがあるとも認めがたいところであるから、人格権の侵害の立証がないことに帰する。
したがって、その余の点について検討するまでもなく、原告らの予備的請求2も理由がない。
一〇 以上によれば、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官青山邦夫 裁判官鈴木正弘 裁判官村瀬憲士)